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CSFリカバリー・サポート・ネットワーク

 アサヒディードの歴史⑤

進化・飛躍期 1998~2017 ~「働きがい」と「誇れる価値」の実現を目指して②~

(等価交換営業と商品管理センターの開設)

営業戦略の刷新となったのが、2000年から開始した高価営業(高交換率営業)と、それに伴う無制限営業である。 市場原理による自由競争に立ち返ることで、お客様への最大・最良のサービスを提供しようと、自由規制を続ける大遊協を離脱し、 翌2001年には「等価交換営業」をいち早く、全店に導入した。また、等価交換を支える高レベルの釘調整技術として、 2006年には「商品管理センター」(大阪府八尾市)を開設する。全店に配置する遊技機の保管、予め釘を調整する「統一ゲージ」の 一元管理、調整技術者の自社育成など、パチンコ事業の生命線の自社化を実現した。こうしたデータ・会員(お客様)管理、釘調整、 オペレーションなどの徹底的な分析と、それに基づく営業ノウハウの構築もまた、業界大手に先がけた仕組みづくりであった。

(高き誇りを実感するチャレンジシップフォーラムが始動)

設立40周年を迎えた2007年、ADらしい「人材を育てる風土」の新たな取り組みとして頑張った人を「HEROES」(英雄たち)と して称える全社一丸の改善提案活動「CHALLENGE-SHIP FORUM」(CSF)がスタートする。CSFは単なる社内イベントだけではなく、選抜を 経てステージ上でプレゼンテーションする「HEROES」はもちろん、見守る「未来の挑戦者」も感動を味わい、ADの存在と自らの仕事に 「高き誇り」を実感する機会であった。また、「社員には仲間と支え合って成長していく使命、会社には社員を成長させる使命がある」 との想いを共有し、誓い合う舞台にもなっていった。




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アサヒディードの歴史④ 

進化・飛躍期 1998~2017 ~「働きがい」と「誇れる価値」の実現を目指して①~

(設立30周年、「想いを一つ」にする新・経営理念を策定)

設立30周年の節目となった1998(平成10)年、アサヒディードは21世紀を目指す指針として「新・経営理念」と「4つの信頼」、CCMTD(Communication Customer Satisfaction,Management,Teamwork,Dream) をキーワードに掲げる「行動基準」を発表する。新・経営理念「アサヒディードは顧客、社員、株主、そして社会すべての人々から信頼される企業となることをめざします。」は、 「社会に貢献できること」「価値ある仕事を創り出すこと」への決意と覚悟を示し、その拠り所となる身近なツールとして手帳「NAVIGATOR」 を創刊。2001年からは地域密着型の貢献を活動指針に、知的障がいのある方と地域社会の暮らしを支援するスペシャル・オリンピックスの ボランティア活動を継続実施している。

(自主改革で新人事制度・実績会計システムへ刷新)

21世紀の幕開けを前に、アサヒディードは「CHANGE MY COMPANY」をスローガンに掲げ、社内改革を推進していく。 すべての社員にとって「私の会社」となり、一人ひとりが「新しい会社を創る主役」となるために、完全成果主義 の新人事制度と実績会計システムを導入する。 新人事制度は頑張った人が報われる「公正な評価」を基本に、社員個々が持つ「やる気」と「主体性」を引出し、その力を 存分に発揮する狙いがあった。その後、ブランド力も人材育成の仕組みも高品質で均質・体系化した「チェーンストア経営システム」 のマネジメントで、より多くのお客様に支持される高収益の多店舗ネットワークへ歩み進めていった。



           


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アサヒディードの歴史③ 

成長・発展期 1967~1997 ~「アサヒ」の名で、店・人・事業を育てる②~

(監査役から、満足を提供するサービスへ)

フィーバーブームに先立ち、板倉行央専務の陣頭指揮で始動したのが自主変革で、その第一歩が人材とサービスの向上で あった。1979年には、業界に先がけて独自の「接客マニュアル」を作成。ホール店員を「監視役」から「満足を提供する 接客サービス」の担い手に変えていく。本社会議室で一人ひとり、丁寧に「マニュアル」を手本に研修指導を受けた各店舗の 主任が、店に戻り的確に店員に教育することで、浸透を図っていった。

(エリートブランドと、経営の多角化)

順調に成長軌道を描くパチンコ事業では1983年5月、新たに大阪府東部の人口集積地である門真市に「エリート大和田店」をオープンする。 これを機に、各ホールの屋号を順次、自社ブランド「エリート」に変えて統一化を推進していった。また、1980年代には、飲食・ディスコ・カラオケの 新規文やへの参入を図る、事業の多角化も推進。1987年12月にモコビル内にディスコ「スタジウム」を、1989年12月にも同ビル内にカラオケボックス「ライブスター」を開店。 どちらも新たな娯楽・アミューズメントとして、若者を中心に人気を集めた。



           


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アサヒディードの歴史② 

成長・発展期 1967~1997~「アサヒ」の名で、店・人・事業を育てる①~

(総合レジャー施設・ASSの開業と法人化)

パチンコ事業を基盤に、より多くの人が集まる魅力ある娯楽事業を目指す挑戦となったのが1967年11月、ボウリング場にスケートリンク、プール を備えた総合レジャー施設『アサヒスポーツセンター』(ASS、大阪市東成区)の開業である。 総面積は約2000坪、投資額も約14億円にのぼり、当時その紙幣価値は、現在の約10倍に相当する額であった。 ボウリング場はフロアの両端が100mあるスケールの大きさで、屋上部では夏はプール遊びにスイミング教室、冬は開閉式のの可動式屋根を設けたドーム型の スケートリンクとしてアイスホッケーやスピードスケートも楽しめるようになっていた。これまでにない「東洋一のレジャー施設」と呼ばれ、大きな話題を 集めた。この「アサヒ」の名には「朝陽が昇るような勢いで業績を上げていく」との想いが込められていた。



           


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アサヒディードの歴史① 

草創期1946~1966(創業前史)~企業家精神で大衆の娯楽・パチンコ事業に挑む~

(大阪で醤油醸造を企業)

アサヒディードの歴史は、創業者が1946年生野区で醤油の製造・販売業を「丸石醤油」の名で起業したところから始まります。 その後、新たな事業にも着手。1954年(昭和29)大阪市東区材木町(現・中央区)に、二階建て家屋の一階を間借りして パチンコホールの1号館「銀星」をオープンします。
昭和初期に登場したパチンコは戦後、娯楽に乏しい日々の暮らしに身近な大衆の娯楽 として浸透し、全国に4万店超のホールが誕生。空前のパチンコブームを迎えます。銀星の開店から間もなく、射幸性の高い連発式 が禁止となったパチンコはブームから一転、不況へと突入し、一気に1万店前後にまで激減します。しかし創業者は、厳しい事業事業環境を チャンスと捉え、積極的な展開をみせます。



           


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